私は私のマスクをつけて、日々の戦いへ向かう『ナチョ・リブレ 覆面の神様』【根矢涼香のひねくれ徘徊記 第3回】 2021.12.12

深夜に台所に立つとつま先が悲鳴をあげる。
年々短くなっているように思う秋をもう少し愛おしみたかったが、冷蔵庫の中にあるのは既に冬の寒さに根を張れる面子揃いだ。こんな時期のこんな時間に私はトウモロコシがここ居ないことを呪っている。そこらにかっぽってある靴下を拾い上げ、うろ覚えに歌いながら、スパイス棚に眠るチリパウダーとハラペーニョをたたき起こす。
午前3時だというのに。こんなはずじゃなかった。これも1本の映画のせいだ。時たまに来る「なんだかな」っていう夜。自分ではどうしようもない現実のモンダイに悩んでも仕方がないけれど、空元気になるスタミナも無い。このまま今日を終えるわけにいかぬと、手元の機器を弄る。洋画、コメディ、助けて!ジャック・ブラック先生。画面の向こうから答えてくれたのは、パツパツの水色タイツと赤マントを纏う御姿。ああ良いよ、絶対くだらないよ。さわりだけ見て、時間ができたときにゆっくり見よう…。そう言って再生ボタンを押したが最後、私は1時間半メキシコに飛ばされた。しっかり笑って楽しんでしまった。『ナチョ・リブレ 覆面の神様』。
©2006 by Paramount Pictures. All Rights Reserved. TM, (R) & Copyright (C) 2014 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.
突然だが、ちゃんと飯がまずそうな映画は良い映画だと思う。食欲をそそる映画飯も定番だが、その逆も然り。衣服だって食事だってその人物を物語るのに十分だ。どのくらい汚れているのか、服にしわ一つ見つけられない程に几帳面なのか。食べもしないのに豪華に並べているのが好きなのか、だれかの残飯ですら無駄にできないのか。ポンと即席に用意された名前のないものでなく、それらが理由あって画の一役を買っているとき、始まりから映画への信頼度がグンと上がるのだ。
ジャック・ブラック演じる主人公のナチョは孤児のまま修道院で大人になり、子供達の炊事係や雑用をしていた。貧しさのために十分な食事を用意出来ず、街から貰うおこぼれすらもひったくりに奪われ、想いを寄せるシスターにも苦笑されてしまう始末。そこで彼が取った選択は、メキシコ市民の間で今も人気の娯楽である“ルチャ・リブレ”のプロレスラーになって大金を稼ぐこと。
暴力タブーの修道院内でバレるわけにいかないナチョは覆面を被り、くだんのひったくりを捕まえてタッグを組み始める。このヤセと呼ばれる男の悲鳴、片言の英語も狙っているんだかいないんだか、絶妙に面白い。ずるい。映画を隅々まで彩る個性豊かな人物たちと、Color Vivo(コロル・ビボ)と呼ばれる極彩色。スペイン語で「生きている色」という意味のその色彩は文字通り、その土地の自然と人々の生命力を表しているようで、見ているこっちまで日照りが届きそうなほど。
ファイトマネーを稼ぎ始めようやく美味しそうな食べ物が出てきた。ナチョとヤセの2人が手に持つ棒付きトウモロコシが異様に美味しく見える魔法。気の抜けるような音楽と共に、テンポ良く繰り広げられる物語。神を信じる者、科学を信じる者。富を求める者、愛を伝えたい者が、教会の鐘と試合のゴングの鳴り響く同じ街に生きる。太陽の灼熱が作り出す真っ黒な影のように、人々の境遇のコントラストも残酷なまでに激しい。監督ジャレット・ヘスの軽快でシュールなリズムが全てを平等に包み、所詮はみな同じ人間だと教えてくれる。愛する者たちのために勝利を目指すナチョの背中がカッコよく見えてこないこともない。日頃の頭を休憩させながら、かぶった埃を払いのけ、純粋な心を洗い出してくれるような素敵な映画だった。
余韻を咀嚼しているうちに、「野菜の雑炒め~メキシカン~」が出来上がった。見た目がひどすぎて私も人のこと言えたもんじゃない。香りは良いので良しとする。“衝動飯”と私は呼んでいるが、結構好きなのだ。いつかタコスやケサディーヤに手を出したい。気を抜くと猫背になって暗部ばかりに目が行ってしまう私も、大好きな映画やご飯の時間くらいは上を向いて無心になれたらいい。そうやって作った隙間に思わぬヒントが転がっているものだ。ありがとう、覆面の神様。心のお医者様ジャック・ブラック。ルチャ・マスクではないけれど、私は私のマスクをつけて、日々の戦いへ向かっていく。
©2006 by Paramount Pictures. All Rights Reserved. TM, (R) & Copyright (C) 2014 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.
『ナチョ・リブレ 覆面の神様 スペシャル・コレクターズ・エディション』
¥2,619
発売元: NBCユニバーサル・エンターテイメント
撮影 / 角戸菜摘 スタイリスト / 山川恵未 ヘアメイク / 染川敬子(TOKYO LOGIC) 編集 / 永井勇成 衣装 / ブラウス¥5,850 / Wild Lily、スニーカー¥6,490 / mite〈問い合わせ先〉Wild Lily 03-3461-4887 / mite 090-9459-0310

1994年9月5日、茨城県東茨城郡茨城町という使命とも呪いとも言える田舎町に生まれる。近作に入江悠監督『シュシュシュの娘』、野本梢監督『愛のくだらない』などがある。石を集めている。