ロケ合宿での暖かい食卓と、癒しのご飯映画『聖者たちの食卓』【根矢涼香のひねくれ徘徊記 第5回】

根矢涼香

食卓と聞いて思い浮かべるイメージは何だろうか。CMで観るような陽の差すテーブルで一家団欒の光景がはじめに飛び込んでくるが、それを上書きするように自分に馴染みのある風景が脳内に描かれる。育ってきた環境によって形もそれぞれだ。

映画のロケで大阪に合宿をした。女性キャスト4人、ヘアメイクさん1人の共同生活の2週間は慌ただしく過ぎていって、気が付けばもう帰京の荷造りをしていた。撮影がない時間はバレ飯(現場外で食事を済ませる)なので、宿のキッチンで調理をするのが日常になった。

見知らぬ土地のスーパーは楽しい。大阪と言えばスーパー玉出。私はこのパチンコ屋みたいな名前の、ネオンだらけの店内が大好きだ。少しずつ買ってきた食材や調味料をうまく使い切ることに頭を働かせた。疲労を蓄えて帰ってきた自分達を労うためにあらかじめこしらえておく。作ったものを卓に並べ、「役」を脱ぎ、温かいご飯にありつく。内側のふやけた状態で一緒に卓につけるのがとても嬉しかった。

なんといっても作り甲斐がある。5人もいればその鍋の中身はペロリとなくなるし、美味しいと言い合ってつつく高濃度の幸せ。洗い物に取り掛かるスピードの速いこと。ずっとこうして暮らして、楽しい婆さんになるのを妄想したくらいだ。生い立ちも違い、闘うものをそれぞれに秘めて同じ屋根の下にいる。頬を赤くして笑い合う彼女達を見ていたら、これも一つの家族だと思った。

ご飯にまつわる映画というと、一つの家族にフォーカスを当ててほっこりと描かれるものが連想されるが、それをぶち壊してくれた『聖者たちの食卓』という作品がある。ベルギーの映像作家のフィリップ・ウィチュスとヴァレリー・ベルト夫妻によって撮影され、インドとパキスタンとの国境にある都市アムリトサルの「黄金寺院」で、500年以上にわたって受け継がれている無料食堂の舞台裏を映したドキュメンタリーだ。

音楽も会話もなく、シク教の聖地で行われる日々の営みを、言葉よりもずっと雄弁に、食堂の情景が語ってくれる。宗教、カースト、信条、年齢、性別、社会的地位に関係なくすべての人々は平等であるというシク教の教えから続けられてきた習わし「ランガル」を守り、毎日10万食が無料で振る舞われるのだ。

境を飛び越えて、同じ鍋の飯をつつく顔、顔、顔。食事が終われば次の食卓の準備に取り掛かる。大規模な調理のために各作業が分担されていて、ニンニクを剥くだけの人、食器を洗うだけの人、各自の持ち場に専念する。水を運ぶバケツリレーの手の並び、慣れた手つきで生地を伸ばし、焼けるのをただ待つ時間も、皮を剥かれた野菜たちもなんだか愛おしい。

ふと涙を流す女性が映されたが私の心配は杞憂に過ぎず、カメラが彼女らの膝下に向くと、無数の玉ねぎが刻まれていた。食事が済んだステンレスの食器をバッシャバッシャとバケツに投げ入れる様は、あまりの粗雑さに笑いながらも、自分が家でされたらブチ切れそうである。陶器の皿じゃないから出来る技だ。

それにしても、一人ひとりの手仕事の見事な連携に圧巻である。こんなにも大きな鍋で作った料理が綺麗に無くなっていく光景は、普段の料理の何万倍もスカッとしそう。役割の行程を経て、完成した料理を見知らぬ人達と口に運ぶ様は、言葉や人種を飛び越えて、同じ地上に生きるわたしたちの本来の姿のように思えた。

私たちの毎日は、レンジ一つで温かい飯にありつけるし、そこらで安く簡単に腹を満たせる。先日新宿で、コンビニの裏扉を開け、パンパンになった廃棄物の袋からおにぎりを1つだけ持ち去るホームレスを見かけた。華やかなカフェで安くない金を払って可愛らしい食事を写真に撮っても、その裏側のまごころに触れることはできない。物が豊かになりながら人の心が反比例して貧しくなっていくのを、この27年の中でも体感してきた。

黄金寺院の彼らの分厚い手を見ていると田舎の祖父を思い出す。土に触れ、爪の先がいつまでも茶色いじいちゃんの手を美しいと思う。食べることは、生きることに直結する最も身近な行為なのに、私たちはあまりにも簡単に流してしまっているかもしれない。特定の宗教に属していなくても、自分の身体を想いながら、誰かの明日を祈りながら作る経験はきっとあるはずだ。喧騒から離れてひたすらに食材と向き合う至高の無心を愛する仲間も多い。

明日の現場は早いからお味噌汁だけでも作ろう。寒いロケから帰ってくる彼女らをシチューで迎えよう。お弁当で偏ってしまうから野菜をたくさん入れて...。

庶民舌の私は、高い店でご馳走されても、その時はおいしいと感じるのだろうが寝て起きれば忘れている。誰と食べるか、出来上がるまでの過程のてまひまを想うからこそ、心にも身体にも染み渡るのだ。油断しながら咀嚼して、動物の顔をしていたい。

飛び交う言葉や決まり事に疲れたのなら、食べるために身体を働かせ、生きるために食べる、このシンプルな習わしをただぼんやりと眺めてみてほしい。そこには特別な意味もやりがいも勲章もない。不思議な解放と癒しの60分間だった。

『聖者たちの食卓』
配給:アップリンク
DVD発売中 / デジタル配信中

撮影 / 角戸菜摘 スタイリスト / 山川恵未 ヘアメイク / 染川敬子(TOKYO LOGIC) 編集 / 永井勇成 衣装 / ブラウス¥5,850 / Wild Lily、スニーカー¥6,490 / mite〈問い合わせ先〉Wild Lily 03-3461-4887 / mite 090-9459-0310

根矢涼香 俳優

1994年9月5日、茨城県東茨城郡茨城町という使命とも呪いとも言える田舎町に生まれる。近作に入江悠監督『シュシュシュの娘』、野本梢監督『愛のくだらない』などがある。石を集めている。

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