凹んだ心に元気をくれる映画『川の底からこんにちは』【根矢涼香のひねくれ徘徊記 第8回】 2022.5.12

誰にでもチアアップムービーのひとつはあると思う。何度観ても元気づけられ、2度目、3度目と再会を重ねる毎に刺さるシーンも変わっていく。誰が、どの場所でどんなセリフを吐くのかさえも大体わかっているのに、泣いて笑って、過去の光に吸い込まれに行く。
漠然と、落ち込んだ時に観る邦画。ちょうどいい感情の周波数。私にとってのそれは、石井裕也監督の『川の底からこんにちは』だ。つい最近も凹むことがあって、川の底まで行きたくなった。2年スパンで観ているような気がするが関係ない。映画の再生ボタンは、私も一緒に再び生まれ直すスイッチなのだ!と思い込んでいる。
©PFFパートナーズ
主人公のOL・佐和子は上京して5年目、仕事への情熱も夢も無い。上京して5人目の恋人・健一はバツイチで子持ちの上司。どん詰まりの彼女に、父が入院したので田舎に戻って家業のしじみ工場を継ぐようにと電話がある。乗り気でない佐和子をよそに、エコライフなるものに憧れる健一の意向で、結局連れ子と3人で里帰りすることに。
初めて観たのは高校2年生の時。灰色がかった日常描写、オフビートな会話劇、そして主演の満島ひかりさんに、恋をした。気だるげに覇気なく、人間がもれ出しているセリフや佇まいに釘付けになったのを覚えている。「しょうがないじゃないですか」が口癖で、子供嫌いで、面倒くささが沸点に達すると気持ちが良いくらいに開き直っていく佐和子の姿は、自分が思い込んでいたヒロイン像をぶち破ってくれた。
志賀廣太郎さん演じるお父さんの弱弱しくも優しいはにかみ一つで、涙腺が決壊してしまう。下ネタ全開の世話焼きなおじちゃんは岩松了さん、イヤミったらしいけれど男前な包容力のあるおばちゃんは稲川実代子さん。人間味あふれる俳優陣を知るきっかけでもあり、ミニシアター系映画とのファーストコンタクトだったと思う。言葉にできないトキメキが私を貫いた。
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ちょっと待てよ。人物が運ばれていく景色に恐ろしいほど覚えを感じ、検索した私は目を丸くする。茨城県の中でもめちゃくちゃ地元で撮影が行われていた。序盤に出てくるゴリラのいる動物園は幼い頃に何度も祖母と足を運んでいたし、しじみ漁をする水源は「涸沼」という名の汽水湖で、実際にしじみの名産地だ。葬儀場も病院も、お世話になったことがある。
笑って流してほしいが、決して見栄えのする場所じゃないのだ。今となっては心落ち着けるホームだが、学生時代は田舎の不便さに絶望し、イケてる先輩とかけおちする佐和子ではないが、都会に憧れ、交通費の方が高くつくのに特急に乗って服などを買いに行っていた。けれども私の未熟は自分勝手に、華やかな向こう側とこっち側で太線を引き、夢を見ようにも踏み出し難かった。
そんな時に観た『川の底からこんにちは』の物語が、16年生きてきた景色のほとんどで展開されていたのだから、好きになった映画が身近な場所で作られたという嬉しさは、当時の私にとって希望になり、自信になり、映画の道を進路とするようになってしまうほどの衝撃だった。
フィルムの持つ力と言おうか、生き生きとした自然の緑も、人のズルさも寂しさも包み込んでくれる湖の淡さも、見慣れた退屈が洗われたように美しく光って見えた。 2009年、しじみ工場で佐和子達が「上がる上がるよ消費税」と歌っている同じ町で、中学生の私はチャリを漕ぎながら近所の牛をからかっている。
映ってさえいないが、確かにその時間の中に居た。映画と同じぼっとん便所をのぞき込み、底なしのようで怖がっていたのだが、ちゃんと汲み取り車が来てくれた。まあ生きてる証だし、失敗も過去も肥しにして、明日の栄養にするしかないか。一度嫌になりかけた田舎を、映画の中でもう一度好きになることができた。人間こんなものよ、と言われたような安心を、いつか自分も描くことが出来たらと思いながら、なんやかんやでここまで来た。かつての決意と、思い出の中にも帰ることのできる 1 本だ。
結局カッコイイ大人のなり方なんて分からないままに年だけ重ねたけれど、後悔や恥ずかしい出来事がない人生は味気ないと思う。中の下だろうが物差し関係なく、自分は自分の人生をそれなりに、少しは愛おしみながら、毎日を歩いて、足を止めて、そういう映画に元気づけられて、重い腰を持ち上げる。こうして繰り返してしまう私たちは、かわいいなと思う。
やっぱりしょうがなくないから、前を向いている。
根矢涼香
ねやりょうか|俳優
1994年生まれ。茨城県 東茨城郡 茨城町出身。数年前に開催した自身の特集上映では、池袋シネマ・ロサを始め各地ミニシアターにて故郷のしじみを販売。結構、売れた。
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『川の底からこんにちは』
第19回PFFスカラシップ作品
監督・脚本 / 石井裕也
出演 / 満島ひかり、遠藤雅、相原綺羅、志賀廣太郎、岩松了
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文 / 根矢涼香 撮影 / 豊田和志 スタイリスト / 山川恵未 ヘアメイク / 岡村成美(TOKYO LOGIC)

1994年9月5日、茨城県東茨城郡茨城町という使命とも呪いとも言える田舎町に生まれる。近作に入江悠監督『シュシュシュの娘』、野本梢監督『愛のくだらない』などがある。石を集めている。