一緒に徘徊してみたい監督はロイ・アンダーソン?【根矢涼香のひねくれ徘徊記 第1回】

根矢涼香

ある時、親友からもらったポストカードが急に壁から落ち、なんとなく連絡をしてみると同じように彼女も寝込んでいた。

“偶然こそが常に最良の助監督”。ベルギー出身の映画監督、アニエス・ヴァルダの残した言葉だ。

初めまして。根矢涼香と申します。連載(憧れの二文字)の依頼をいただいたにも関わらず、「ひねくれ徘徊記」というキラキラしないタイトルをつけてしまいました。

せっかく映画のそばで文章を書けるのだから、新作情報などをお送りできれば良かったのですが、昔から流れを掴むことが大変苦手な性分です。大縄跳びの縄に入るよりその辺にあるイイ感じの石ころを拾い、徒競走では一等賞を狙うよりも最後尾で知らない人に手を振りまくる幼少期を過ごしてきた私です。新しいドラマや音楽の話題、芸能人の結婚ニュースなどは始めの頃こそ振り落とされぬよう大衆のマラソンを走っていましたが、次々と塗り替えられていく“最新”に息切れし、いつしか「自分の時間軸で出会ったものこそが新鮮であり面白い!」という結論に至りました。 ただのあまのじゃくですね。

惹きつけて離さないものなんて世界に溢れていて、例えばそれは、知らない人の家に生るカリンの誘惑。野良猫との攻防戦。なんとなく気になってしまう路地の暗がり。その果実が大して甘くなかろうと、一方的な以心伝心であろうと、行った先でうんこを踏もうと、「糧」という便利なばんそうこうでどうにでもなっちゃいます。何も起こらないなら起こらないでもいい。要はそれが秘めている、可能性にトキメキを覚えるのかもしれません。

そもそも徘徊(はい・かい)とは「当てもなく歩き回る。うろうろする。」ことですが、私は歩くことが好きなだけでなく、何かを選ぶときは、おかしなことがありそうな方を選ぶ傾向があります。後悔はしても、反省していません。また繰り返すので。 また、ひねくれには二つの漢字があって、「陳ねくれ」は古びる・古臭くなるという意味、「捻くれ」が素直でない性格などを指すのですが、どちらとも当てはまる気がします。いつの間にか集団からの斜め後ろに立っています。けれど、私と仲良くしてくれる人たちや、敬愛する作家、監督の方々はそのひねくれ心を一貫し、かえってそこらの台風では倒れなくなった捩じれた大木のような人に思えます。 後光さえ感じます。

「一緒に徘徊してみたい監督は?」と尋ねられたら間髪入れずにロイ・アンダーソンと答えるでしょう。一見北欧のほのぼのとした日常を並べていると思いきや、そこに出てくるのは白塗りをされ、尽く顔色の悪い市井の人々。自分勝手に不平をつぶやき、時々喜び、また嘆く光景。狂気の沙汰ともいえる絵画のような1シーン1シーンは、絶望と悲観を何周もして、もはや楽観とも見えてしまう、動く風刺画のようです。徘徊繋がりで、『散歩する惑星』(2000年)という作品がありますがこの邦題がまた素晴らしい。担当の方に干し芋を箱で贈りつけたいです。

ちなみに原題訳は、「二階から聴こえてくる歌」。この距離感も彼らしい。構想20年、撮影4年の気の遠くなる期間に加え、オールセットを組み、群衆や渋滞などのシーンはミニチュアやだまし絵を使っている本作。しかも出演者は監督が街のホームセンターなどでスカウトした人々というのだからまたおっかない。どこかの惑星の、とある場所で起きている不条理の羅列。彼らによるぎこちない振舞いが発する生きることへの憂いを、決してユーモアを忘れることなく描いて魅せるロイ。

世界の仕組みに嫌気が差しながら、人間そのものは可愛くて仕方がないんだという、まさに神の視点!と言いたいところですが、2014年に製作された『さよなら、人類』の原題は「鳩が枝の上に座って人生について考えた」ですし、最新作『ホモ・サピエンスの涙』では不平不満を叫ぶ人間たちの曇った上空を、渡り鳥たちが変わらずに飛んでいく。なので同じ惑星に暮らす鳥たちの観察眼、と表現しようと思います。そこに映るものは、私がひねくれながらひとり歩くときに惹きつけられるものと似ていながらより鮮烈で、この現実の妙をすべて映画の中でやってしまうのだから、恐ろしい。やっぱり隣で徘徊するのは恐れ多いので20mほど後ろをつけて歩くことにします。

今は深夜の2時39分。宿泊中のビジネスホテルの11階でこの文章を書いています。この時間でも車の音がして、大きな声で歌う自転車の人がいる(どこにでもいるな)。交差点を歩くカップルがどんな会話をしているのか、高層マンションのてっぺんの部屋の明かりを見てどんな人が住んでいるのか想像しながら、少し寒くなってきたので窓を閉めました。私がロイならどう撮るだろうと妄想をしながら、朝ごはんを楽しみに眠りにつきます。昨日お会いした横浜聡子監督の『ジャーマン+雨』を久しぶりに観ていたら、27歳になっていました。

歩かなくても手元の機器で、見たいものや話したい人と繋がれる大変便利な時代になりました。けれど私の中で確実に大切に残っているものは、自分の足で歩いた砂利道、図らずも出会った知らない映画、連れ歩きヨレヨレになった印だらけの文庫本、近しい人たちと広げたもう戻れない会話だったりします。

旅というものが、今は簡単にはできなくなってしまいました。SFと化してしまったような日常の中、誰かと共有する熱狂が恋しい。ロイの映画の鳥たちが見下ろすように、変わらず私たちは間違うのかもしれないけれど、10年後の自分への問いとして、こんな中でも素晴らしいこともあったよという証明として、この記を綴っていこうと思います。

画面越しでは得られないものがはっきりとしてきたからこそ、少しでも外の世界を歩けたときには、目と耳を存分に使って、とりとめもないこの大袈裟な感動を誰かに話したい。時には手間暇をかけて、失敗だって楽しみながら、人にも作品にも出会いたい。大きな流れに乗らなくてもいいから、派手さ古さに囚われずあなたも気持ちのいい方角に向かって、存分にひねくれていきましょう。以上、永い言い訳でした。

©Studio 24 © 2007Roy Andersson Filmproduktion AB © Roy Andersson Filmproduktion AB

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発売元:スタイルジャム
販売元:TCエンタテインメント

撮影 / 角戸菜摘 スタイリスト / 山川恵未 ヘアメイク / 染川敬子(TOKYO LOGIC) 編集 / 永井勇成 衣装 / ブラウス¥5,850/Wild Lily〈問い合わせ先〉Wild Lily 03-3461-4887

根矢涼香 俳優

1994年9月5日、茨城県東茨城郡茨城町という使命とも呪いとも言える田舎町に生まれる。近作に入江悠監督『シュシュシュの娘』、野本梢監督『愛のくだらない』などがある。石を集めている。

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