斎藤工「いろんな作り手の“零落”に触れることが、僕なりの自分の保ち方になっている」『零落』インタビュー

テラスマガジン編集部


漫画家・浅野いにおの同名作品を竹中直人監督が実写化した映画『零落』。元人気漫画家を主人公とし、漫画家の残酷なまでの業に肉薄した作品だ。主人公・深澤薫を演じた斎藤工は原作について、「常にそばにいてほしい作品」だと口にする。深澤と同じく表現者である斎藤は、そんな大切な作品に俳優としてどのように挑んだのか。心境を語ってもらった。

いろんな作り手の“零落”に触れることが、僕なりの自分の保ち方になっている


──オファーされた際の心境を教えてください。

「竹中さんが監督デビュー作としてつげ義春さんの『無能の人』を映画化したときのように、『零落』を映画化することに何か必然的なものを感じました。もともと僕はこの原作のファンですが、かといって気軽に開くことのできるものではありません。けれども、“常にそばにいてほしい”と思える数少ない漫画作品でもある。そういった作品に俳優として関わることには、やはり大きなプレッシャーがありますね。ですが竹中さんとは監督同士として、2020年公開の『ゾッキ』を手がけた経緯があります。この状況を俯瞰的に見たときに、“流れに身を任せてみよう”と思ったんです。竹中さんありきですね」


──原作に対して“常にそばにいてほしい”と思うのは、同じ表現者として深澤の苦しみが理解できるからこそですか?

「それは大いにあります。でももう少し手前のお話をすると、自分の“嘘っぽさ”というか、“偽物感”というものを僕自身が抱えているからです。これは僕だけでなく、多くの人が抱えているものかもしれません。SNSを例にすると、そこにはちょっと背伸びをした自分がいて、あたかもそのアバターが日常の自分の姿なのだと暗示をかけて生きているような。そんな時代になってきているのではないかと感じています。

表現者としては、正解がないからこそ自分の嘘っぽさと向き合って、どう対処していくか。それを繰り返すことしかできないのだと、いつの日か気がつきました。自分にとって“これはホンモノだ”、“揺るぎないものだ”と思えるものを取り入れることがその対処法の一つ。それは芸術などだけでなく、例えば食べ物だとか、自分の表現に直接的には繋がらないものほど大切ですね。

『零落』を初めて読んだときに、浅野先生は人間の“本当”を描いてしまったと感じました。原作をそばに置いておきたい理由は、これが“本当”だからです。先生はご自身の内蔵をも描いてみせた。これを身近に置いておくことは、僕にとって戒めでもあるんですよ。初めて読んだときに受けたあの感覚を忘れてはならない。本棚というよりも、神棚のようなところにある作品の一つです」


──『零落』を手にすることで危機感のようなものが生じるのでしょうか?

「映画を作ったり役を演じたりと、僕も常に何かしらを表現しているわけですが、内臓を見せられないまま終わってしまうことも多々あります。外面を表現するだけで成立してしまうことに不安を持たなくなってしまうのは、非常に怖いことです。それは原作の『零落』で描かれているような“本当”ではありませんから。自分の中でそんな問答を繰り返しているうちに僕はこの作品に出会えたので、映画を観る皆さんにも同じように受け止めてもらうのが自分の役割だと思っていました。撮影はやはり苦しかったですね。あのとき感じた息苦しさが、ちゃんと画として作品に残っていると思います」


──深澤薫というキャラクターに対してはどんな印象を抱きましたか?

「どんな業界にも、“次世代”というものが迫ってきています。時代の変化に合わせて新しいものが古いものに取って代わるのは自然なことですよね。これを理解しようとする自分がいる一方で、自分だけには特別な何かが起こるのではないかという期待感もあって。そのはざまで揺らぎながら現実を眺めています。いや、新しいものが古いものに取って代わるのではなく、サイクルとして回るものですね。そう理解はしているものの、そこに対してどうしても疑念を抱き、苦しみを感じてしまいます。

こうお話しをしていて、僕はつくづく自分のことをややこしい人間だなと思います。スパッと結論を出すことができればいいのですが……。でもこの仕事の面白いところは、むしろ僕のような人間の持つややこしさが、多種多様な作品に適応できる可能性に繋がることです。性格をこじらせていたり歪であったりすることが報われる場合もあると思うので、深澤の姿は自分と重なりますね。

漫画家の方々はどうなのか分かりませんが、僕は自分のことを客観視してしまいます。これはおそらく俳優の性質であって、もうしみついているもの。だから涙を流すことがあっても、それが本当の感情から生じたものなのか分からない。表現者の苦しみなどでは決してなくて、僕自身の卑しい性格がそうさせているのかもしれません。けれども、こうして失っていくことすら得られるものとして捉えようという思いが職業柄あります。深澤の姿にはそれが垣間見えますから、浅野先生をはじめとする漫画家の方々もそうなのかもしれませんね」


──映画『零落』はどのような作品になったと感じていますか?

「2022年の東京国際映画祭でコンペティション部門の作品をたくさん観たのですが、暗いものが多いんですよね。表向きは陽気な映画であったとしても、その奥底には何かが原因で生まれた社会の暗部が存在している。作品が持つネガティブなものと自分が抱えるネガティブな部分とが連結する瞬間は、僕にとっての映画を観る喜びの一つです。そこには自分だからこそできた発見や気づき、そして学びがありますから。

上映作品のうちの一本に地獄のような映画があったのですが、劇場全体が映画の引力に飲み込まれていくのを感じて、あれから時間が経ったいまもまだ尾を引いています。『零落』とは、まさにそんな映画になったのではないかと思います。映画が人を惹きつける根っこには、“零落感”のようなものがあると思うんです。人は誰しも、他者の前では見せない、独りぼっちのときにしかしない表情があることを理解しているはず。本作のタイトルやビジュアルに興味を抱いた方には、ぜひ観てほしいですね」


──本作は“表現者”であり“生活者”でもあることの困難を描いています。斎藤さんはどのようにして自分を保っているのでしょう?

「世の中にはさまざまな仕事がありますが、僕は年々その可能性を失っています。単純に年齢を重ねていることもそうですが、学歴や職歴などからしても条件は狭まっていく。かつては就職の可能性もあったものの、俳優業を続けていくことでその選択肢を失っているのをひしひし感じているんです。深澤もそうなのだと思います。いまさら引くに引けない。はたから見れば彼は成功体験をしていて、恵まれた環境にいるように思えるかもしれません。ですがその実、彼は脱線することも戻ることも許されない。そして僕にもそのふしがある。

映画を届ける側の人間として“誰かのために”などと言っていながらも、僕個人としては進む道も時間も限られているのが現実です。これはどの職業に就いていても直面する問題だと思いますし、不安を抱えているのは自分だけじゃないはず。その事実に触れることが救いになったりもしますね。表現者としての自分と生活者としての自分のバランスを取るのは難しいですが、本作には同じような環境に身を置く人々にとっての救いがあると思います。自分に似た存在を映画の中に見つけられるはずですから。作り手の美学が観客の美学に繋がることが、映画の健全なかたちだと僕は信じています。いろんな作り手の“零落”に触れることが、僕なりの自分の保ち方になっているんです」


斎藤工
さいとうたくみ|俳優・映画監督
1981年生まれ、東京都出身。主な出演映画は『昼顔』(17/西谷弘監督)、『麻雀放浪記 2020』(19/白石和彌監督)、『8日で死んだ怪獣の12日の物語』(20/岩井俊二監督)、『孤狼の血 LEVEL2』(21/白石和彌監督)など。2022年は映画『シン・ウルトラマン』(樋口真嗣監督)に主演、2023年は『イチケイのカラス』(田中亮監督)、『THE LEGEND & BUTTERFLY』(大友啓史監督)、監督長編最新作『スイート・マイホーム』の公開が控える。


『零落』
監督 / 竹中直人
原作 / 浅野いにお
出演 / 斎藤工、趣里、MEGUMI、玉城ティナ/安達祐実
公開 / 3月17日(金)よりテアトル新宿 他
©2023浅野いにお・小学館/「零落」製作委員会 

あらすじ
8年間の連載が終了した漫画家・深澤薫は、自堕落で鬱屈した空虚な毎日を過ごしていた。SNSには読者からの辛辣な酷評、売れ線狙いの担当編集者とも考え方が食い違い、アシスタントからは身に覚えのないパワハラを指摘される。多忙な漫画編集者の妻ともすれ違い、離婚の危機。世知辛い世間の煩わしさから逃げるように漂流する深澤は、ある日“猫のような目をした”風俗嬢・ちふゆと出会う。堕落への片道切符を手にした深澤は、人生の岐路に立つ……。

撮影 / 西村満 取材・文 / 折田侑駿 スタイリスト / 三田真一 ヘアメイク / 赤塚修二
衣装 / ジャケット¥64,900、シャツ¥40,700、パンツ¥42,900/スズキ タカユキ<問い合わせ先>スズキ タカユキ/03-6821-6701

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