「こんちくしょう」と思うときにだけ開くノートのこと【根矢涼香のひねくれ徘徊記 第4回】

根矢涼香

『2019年12月10日12:37。茨城から東京へ、特急で帰る。お通夜でごはんを沢山食べたので少し太ったように感じる。朝、根矢ばーちゃんの遺品を整理する。掃除もして、すごい埃で雑巾ふたつ捨てた。ばーちゃんの日記が沢山出てきた。これもその一つだった。新品なので私がもらおう。誰に見せるでもなく書かれた文字は、その人の知らなかった内面に触れられる気がした。もっと話しておけばよかったなあ~』

手のひらサイズの青いノートをめくると、線をはみ出しながら私の文字が躍っている。

“根矢ばーちゃん”とは父方の祖母の呼び名だ。生前の祖母が細かい日付をふり、小さなメモ代わりに記していたものが10冊近く見つかった。ほうれん草を煮たこと、知人から久しぶりに電話がかかってきたこと、私や弟が帰省した時のことなどが書かれていて、なんだかどきどきしたのを覚えている。

家族が書いた文字を見る機会も殆ど無くなったし、孫に接するとき以外の祖母の顔をあまり知らない。棚から一緒に出てきた若い頃の写真から想像してみるも、直接尋ねることはできなくなってしまった。

まだ何も書かれていなかった1冊を持ち出して、東京で日記をつけていく。気が付くと、私はそれを「こんちくしょう」と思うときにだけ開くようになっていた。

飲みの席でされた説教への説教や、大事な日に限っておでこの真ん中にニキビができること、オーディションに落ちて開き直ったり、自分のダメな部分を書き出して目標を掲げたりと情緒が忙しい。日の目を見ることなく飲み込まれた言葉や、ぐるぐるに絡みついて解けなくなった感情どもの墓場であり、ここなら自由に踊り出して良いんだぞ!という紙の上のステージでもある。

病めるときも健やかならぬときも、悔しさも悲しみも幾年月。整ったフォントではなく、徒然なるままに書き殴った文字は中々躍動感がある。ばーちゃんはこんな風に自分のノートが活用されるとは思いもしなかっただろう。あなたの孫ですよ。

ある意味でデスノートと言えるこの日記について、初めて話した映画がある。上村奈帆監督が編んだ『親愛なる見ず知らずのあなたへ』だ。自粛が強いられた2020年のコロナ禍、“どんな状況でも映画をあきらめない。”を合言葉に立ち上げられたリモート映画制作プロジェクト「#お家で映画制作部」の作品のひとつだ。

これまでの日常が遮断された中で画面越しに問いかける、会いたいという気持ちとは何か、様々な表現者8人へのインタビュー形式で構成されている。不安だらけの中で生きる私たちの心のドキュメンタリーとも言えるけれど、あんな状況はフィクションであってほしいと願ったものだった。

『根矢涼香、映画監督になる。』では汗も涙も鼻水も共に詰め込んだ上村さん。昨年11月の上村奈帆映画祭では略称「ネヤカン」との併映で、この私たちの不安のかたまりも、抜粋したバージョンではあるが初めてスクリーンに映し出された。

部屋で互いに一人、気の許せる相手だからこそ、何も纏いようがない当時の私たちが、名古屋シネマスコーレの暗闇に光っていた。今もコロナによる隔たりはしぶとく残るが、やっぱりあの頃は皆が異例の事態に怯えていた。くだんの私のノートも3月の終わりから乱雑に埋められていった。

そしてもう一つ、一緒に上映された作品がある。SNSで上村監督が“吐き出した”とある詩に、私が映像と朗読をつけて送りつけたものだった。心に沈殿していたものが結びついて、目にした途端に気が付いたら撮り始めていた。誰に見せるためでもない、上村奈帆へしたためた殴り書きのラブレター…にしては重い描写ばかりだけれど、同じ暗い場所の波長でしか癒えないものがあると私は信じている。

照らされては消えていく過去を少し笑えるくらいには時間も経って、すっかりかさぶたになってくれたはずだ。たまにこうして風に当ててあげなければ。

初めて、自分の撮った作品が映画館で流れる。座席後ろの通路から、暗闇で一つの光を見つめる皆の背中を見ていた。父と母もいた。こんな機会をくれた上村奈帆監督と、シネマスコーレに大きなお礼を言いたい。おばあちゃん子というのも私たちの共通だ。

次は、忘れたくない幸せなことも一緒に、悲喜こもごも閉じ込めたい。小さなノートを探しに出よう。

©2020テラスサイド

『親愛なる見ず知らずのあなたへ』
DOKUSO映画館で配信中

撮影 / 角戸菜摘 スタイリスト / 山川恵未 ヘアメイク / 染川敬子(TOKYO LOGIC) 編集 / 永井勇成 衣装 / ブラウス¥5,850 / Wild Lily、スニーカー¥6,490 / mite〈問い合わせ先〉Wild Lily 03-3461-4887 / mite 090-9459-0310

根矢涼香 俳優

1994年9月5日、茨城県東茨城郡茨城町という使命とも呪いとも言える田舎町に生まれる。近作に入江悠監督『シュシュシュの娘』、野本梢監督『愛のくだらない』などがある。石を集めている。

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