『ひとりたび』毎熊克哉×石橋夕帆監督×上村奈帆 鼎談後編 2026.8.7
俳優・毎熊克哉による連載「毎熊克哉 映画と、出会い」は前回に引き続き、『ひとりたび』の上村奈帆と石橋夕帆監督がゲストとして登場。
この「後編」では、より作品の外側へ。俳優、監督、脚本家の視点から、優れた脚本とテーマや演技の関係性が語られていく。三者三様の言葉たちは止まらない──。
“書かれていないのに書いてある脚本”が好きで、素晴らしいと思っています──毎熊克哉
劇中に存在するものが必然であるように感じられる作品が私は好き──石橋夕帆
これから演じることになる役者さんの心身の状態に近づきたいと思いながら執筆しています──上村奈帆
──「前編」では石橋さんと上村さんのタッグが実現した経緯から、現場での作り手と俳優の関係性の構築の仕方にまで話が及びましたね。
毎熊:おふたりとも脚本を書かれる方なのでお聞きしたいのですが、率直に、優れた脚本ってどんなものだと思いますか?
石橋:作品の持つテーマやメッセージというものを訴えるために、物語や人物像が作られているものは苦手です。劇中に存在するものが必然であるように感じられる作品が私は好きで、具体例を挙げるなら、『この世界の片隅に』(2016年)や『夜明けのすべて』(2024年)ですね。
毎熊:それぞれの登場人物は、作り手の言いたいことを言うために存在しているわけじゃない。映画について学んでいたときに授業で言われたことを覚えていて、役者になったいま、改めてよく考えますね。
石橋:やっぱり、そうですよね。
毎熊:いまは職業柄、たくさんの脚本を読ませていただくようになりました。その中で、作り手の言いたいことが全部セリフとして書いてあると、ちょっと入っていきづらい印象がある。だから僕としては、“書かれていないのに書いてある脚本”が好きで、素晴らしいと思っています。セリフなどに饒舌さは感じられないのだけど、作り手の言いたいことが伝わってくるっていう。
石橋:私は自主映画出身なのですが、活動をはじめた頃はまさに、主人公が監督や脚本家の代弁者のように存在する作品が多かった気がします。だから、もしかすると個人的には時間を経ての、あの時代へのある種の反発でもあるのかも。
──上村さんはどうでしょう。
上村:私はリズムですね。
毎熊:リズムですか。
上村:私が脚本家という職業を認識したのは、子供の頃に『北の国から』を観て、倉本聰先生の存在を知ってから。衝撃的でした。人情ドラマとして捉えている方も多いと思うんですけど、幼少期から自分の中に“ずるさ”があるのを感じていた私は、登場人物たちの中にもこの“ずるさ”を見つけました。そしてこの作品は、人間なら誰もが持つ“ずるさ”を、否定することなく、当然のものとして認めている。
石橋:上村さんにとって倉本先生の存在がどれだけ大きいのかは、よくおっしゃってますよね。
上村:こうやってお話ししていて、ふと、一瞬の間が生まれることがあるじゃないですか。私はこの“間”に、何か本音のようなものが表れることがあると思っています。これがたとえば映画のワンシーンだとしたら、俳優部のみなさんの演技による賜物で、実際のシチュエーションによって、その心身の状態は変わるものですよね。脚本は机に向かって書いていますが、私はできるだけ、これから演じることになる役者さんの心身の状態に近づきたいと思いながら執筆しています。
毎熊:そこで、リズムが重要になってくるわけですか?
上村:セリフだけでなく、ト書きも含めた脚本全体に感じるリズムが、撮影時に生まれるであろう空気まで表現している。そう思える脚本がこの世にはあるんです。そしてそれが、倉本先生の脚本だったりする。それこそ毎熊さんのおっしゃったような、“書かれていないのに書いてある脚本”で、やがて映像になった何気ない瞬間にこそ、映像を目にしている私はグッとくるんです。優れた脚本にはどれも、このリズムが感じられるんです。
──現場での俳優の身体感覚が、あらかじめ脚本上にリズムとして表現されている、ということでしょうか。『ひとりたび』の岡本さんの演技を上村さんが自然と受け止められたのは、このリズムが見事に同期していたからだといえるのかもしれませんね。
毎熊:面白いですね。僕はおふたりが作っているような、登場人物たちの呼吸が感じられる作品が好きなのですが、そのいっぽうで、もともとは大作映画が好きなんです。『タイタニック』(1997年)とか。大作映画って表向きはエンタメ性が強いけど、じつは強固な社会的な要素によって支えられていたりもしますよね。映画作品におけるテーマやメッセージについて石橋さんが少しお話しされましたが、ここについてもうちょっと聞いてみたいです。
石橋:ハリウッドの大作映画や、テーマやメッセージを大きく掲げた映画からすると、私の作品はどれも真逆で地味です(苦笑)。でも、私が描く世界観やテーマとの距離感は、これくらいがちょうどいい気がしています。世の多くの人たちに希望や救いをもたらす映画を撮る方々はたくさんいらっしゃるので、私はいまの路線のままがいい。作り手として私にできることって何だろうかと、よく考えるんですよ。
毎熊:気になります。
石橋:ほんの少数の人々の心の拠り所を作ったり、小さな希望を描くことです。決してニュースで取り上げられることのないような、誰かの人生のある瞬間や感情を描きたい。そう思っています。実際、ありがたい事に私の作ってきた映画たちが、届くべき人々に届いているのを感じているので。
──必要としている人たちがいるというのは、つまり、石橋さんの作品が社会的なものであるということの証だとも思います。
石橋:『ひとりたび』は知人の方が実際に体験されたエピソードを着想源にしているのですが、この作品を観てくださった方の中に、主人公の美咲と同じような経験をされた人がいました。たとえまったく同じ経験じゃなかったとしても、あるいはたったひとりだとしても、誰かの拠り所になることができたら嬉しいですね。
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毎熊:上村さんの考えも気になります。
上村:わたしは、主観ですかね。「個人的なことは社会的なこと」という言葉があるように、個人と社会の接点を探るのが好きです。そしてそれは、私たちが作ってきた個人の感情を描くような作品だけでなくて、たとえば、『ブレードランナー』(1982年)とか『マトリックス』(1999年)みたいな大作映画にも見出すことができる。しかも観る人によって、その接点は変わるじゃないですか。これがすごく面白いと思うんです。
毎熊:どんな作品にも、いまの社会に通じる要素があると。
上村:思いっきり掘り下げてみると、「なぜ生きているんだろう?」みたいなこととか。
石橋:根源的なテーマですね。
上村:作り手にとっても、演じ手のみなさんにとっても、つねについてまわるテーマですよね。同じようなテーマを持っていても、作品の切り口が変われば、描く手法も変わる。やっぱり、演技のアプローチも変わってくるものですか?
毎熊:そうですね。作品の可能性が無限に開かれているように、じつは演技だってそうだと思います。ここで僕が大切にしているのが、「前編」でお話しした“質感”なんです。
石橋:ちょっと気になるのですが、エンタメ性の強い作品と、そうでない作品だと、演じることの難しさは変わってきますか?
──虚構的な作品と現実的な作品における、演技の在り方の違いですね。
毎熊:それぞれにそれぞれの難しさがありますよ。「ただそこにいるだけでいい」と求められることがよくありますが、これってじつはすごく難しい。
上村:「ただそこにいるだけでいい」って、たしかによく耳にしますね。
毎熊:たとえばファミレスでの会話のシーンを撮っているとします。これを日常のひとコマを切り取ったもののように仕上げるのは、かなり難しいと感じます。というのも、僕が毎熊克哉として与えられたセリフを口にして成立するものじゃないですよね。僕は僕自身とは異なるキャラクターとして、その場で言葉を口にしなくちゃならない。つまり、僕が自然体でその場にいることと、役がナチュラルに存在することは、まったく違う。
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石橋:ああ、なるほど……。
毎熊:いくら自然な振る舞いをしていても、そこに僕個人の何かが漏れ出してしまっては、劇映画の登場人物として“ただそこにいる”という状態を成立させているとは言えない。そう考えています。これはエンタメ性の強い作品にも同じように言えることで、それぞれの作品に適したリアリティというものがある。だから一概にどちらが難しいとは言えないですね。
石橋:リアルとリアリティは違いますね。
毎熊:ただそこにいるだけなのにすごく印象に残る人がいれば、それだとまったく記憶に残らない人もいます。そしてこれもまた、一概にどちらがいいとも言えない。その個人が役者としてどうというより、作品や監督の求める質感との関係の問題だと思うんです。とくに日本の現場って、いろんな出自の人たちが集まるじゃないですか。子役から演技をやってきた人がいれば、モデルやアイドルから演技の世界に足を踏み入れる人たちもいる。ある意味、一人ひとりの芝居の流派が違うんですよね。
上村:たしかにたしかに。みんな同じところで学んできたわけじゃないですからね。
毎熊:これを指揮する監督は大変だと思いますけど、僕は面白いと思います。みんなが見得を切るような演技合戦になることもあれば、思いのほか自然と、ひとつの世界観に収まることもある。そこでいろんな化学反応が起きたりもしますしね。
上村:面白い……。やっぱり、こうやって俳優部の方が何を考えているのかを知るのは面白いし、大切なことですね。いま改めて、そう実感しています。
石橋:いまの毎熊さんの俳優としての考え方に、強く影響している出来事って何かあるんですか?
毎熊:難しいな……(笑)。
石橋:本当にいろんな作品に出られているので、何か大きなきっかけがあるのであれば聞いてみたいです。
毎熊:いくつもあるんですけどね……。『ケンとカズ』(2016年)の公開からちょうど10年が経つのですが、当時の僕はまだ20代で、あの作品があったからこそ、役者として30代を過ごすことができました。そんな僕はこれから40代に入っていくわけですが、40代を役者として生きていこうと思えているのは、高橋伴明監督との出会いがあったから。それくらい、伴明さんとの出会いは僕の人生にとって大きな出来事なんです。座組が一丸となって、「監督についていきます」と心から思っている現場に身を置くことができたのは、30代を役者として駆け抜けてきた僕にとって、ご褒美のようなものだと思っています。ひとつだけ挙げるとしたら、やっぱりこれですね。
石橋 夕帆
いしばし ゆうほ|監督
1990年生まれ、神奈川県出身。初長編作品『左様なら』(2018)が大阪アジアン映画祭インディ・フォーラム部門に入選。全国20館以上で公開。長編2作目『朝がくるとむなしくなる』(23)が大阪アジアン映画祭インディ・フォーラム部門にてJAPAN CUTS AWARDを受賞、JAPAN CUTSに正式出品される。韓国、台湾でも公開され、フランスでは100館以上で公開された。本作品が、長編3本目となる。
上村 奈帆
かみむら なほ|脚本家・監督
1988年生まれ、千葉県出身。日本映画学校卒業(現・日本映画大学)、映画美学校脚本コースを経て脚本家・映画監督として活動。主な作品として、映画『蒼のざらざら』(14)、『書くが、まま』(18)、『根矢涼香、映画監督になる。』(19)、『三日月とネコ』(24)、23年のドラマ「夫を社会的に抹殺する5つの方法」(TX)、「僕らの食卓」(BS-TBS)、「カメラ、はじめてもいいですか?」(BS東急)などで脚本・監督を務めた。原作を担当した漫画「ザッケン!」(小学館)を自ら監督し、全国公開中。
毎熊 克哉
まいぐま かつや|俳優
1987年3月28日生まれ、広島県出身。2016年公開の主演映画『ケンとカズ』で毎日映画コンクール、スポニチグランプリ新人賞など数多くの映画賞を受賞。主な映画出演作に『サイレント・トーキョー』(20/波多野貴文監督)、『猫は逃げた』(21/今泉力哉監督)、『冬薔薇』(22/阪本順治監督)、『世界の終わりから』(23/紀里谷和明監督)、『初級演技レッスン』(24/串田壮史監督)、『悪い夏』(25/城定秀夫監督)、『「桐島です」』(25/高橋伴明監督)、『安楽死特区』(26/高橋伴明監督)など。8月『見えない娘』(竹林亮監督)、11月『月がみている』(渡邉直子監督)の公開が控えている。
『ひとりたび』
6月27日(土)より新宿K's cinemaほか全国公開
岡本 玲
長村航希 坂ノ上 茜 岩田 奏 石山愛琉
日高七海 里内伽奈 中山求一郎 長友郁真 / 濱田マリ 原 日出子 平田 満
監督:石橋夕帆 脚本:上村奈帆
撮影:関 瑠惟 照明:中田祐介 録音:坂元 就 美術:畠 智哉
スタイリスト:小宮山芽以 ヘアメイク:安藤メイ 助監督:中村幸貴 制作担当:小元咲貴子
編集:小笠原 風 音楽:山城ショウゴ スチール:松井綾音・おにまるさきほ
ビジュアルデザイン:東 かほり 宣伝:五味聖子
プロデューサー:田中佐知彦
主題歌:ん・フェニ「おもうたび」 作詞・作曲:ん・フェニ(ビクターエンタテインメント/CONNECTUNE)
配給:MomentumLabo. 製作:Ippo ©Ippo
撮影:西村 満
取材・文:折田 侑駿
1987年3月28日生まれ、広島県出身。2016年公開の主演映画『ケンとカズ』で第71回毎日映画コンクール、スポニチグランプリ新人賞など数多くの映画賞を受賞。以降、テレビ、映画、舞台と幅広く活躍。主な映画出演作に『孤狼の血 LEVEL2』『マイ・ダディ』(21)、『猫は逃げた』『冬薔薇』(22)、『世界の終わりから』(23)、『初級演技レッスン』『悪い夏』『「桐島です」』(25)等。公開待機作に『安楽死特区』『時には懺悔を』が控えている。